【Management Talk】「変化を積み重ねることで伝統が築かれていく」2000年の上場後、売上20倍、2000億円を達成した経営者が挑んだ4つのチェンジ

株式会社アダストリア 福田三千男

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年に迎える創立20周年に向けて、新企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺う対談です。
第9回のゲストは、株式会社アダストリア 代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)福田三千男氏。茨城県水戸市ではじまった紳士服店を売上高2000億円企業にまで育て上げた福田会長に、成長の要因となった4つチェンジについて語っていただきました。また、ブランドについてのお考えも伺いました。
 
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株式会社アダストリア
株式会社アダストリア(代表取締役 会長兼最高経営責任者(CEO):福田三千男)は、「グローバルワーク」「ニコアンド」「ローリーズファーム」など、20を超えるブランドを国内外に約1,500店舗展開するファッションカジュアル専門店チェーンです。旧社名は株式会社ポイント。2015年に社名変更し、現在に至ります。
 


 
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紳士服小売業からメンズカジュアルへ進出

 
別所本日はよろしくお願いします。まずは、御社の成り立ちについて教えていただけますでしょうか。
 
福田当社の原点は、1953年創業の福田屋洋服店です。その前にも祖父や父がいくつか商売していたのですが、先の大戦で倒産してしまった。それでも、ありがたいことに、倒産でご迷惑をおかけした方々の援助によって再起できたのですが、父は、はじめはその借金を返済するだけで必死だったと思います。
 
別所苦難の歴史があったわけですね。
 
福田そんななか、私はなんとか大学に行かせてもらいました。同志社大学に通った京都での学生生活では、色々な方と知り合う機会があり非常に楽しかったです。そのなかには、当時、日本最大の紳士服のボランタリー・チェーンの御曹司もいました。彼によく、「もう洋服屋は終わりだぞ」と言われたことを覚えています(笑)。「あなたも洋服屋じゃん」と思いながらも、その時点で、町の洋服屋が年々厳しくなっていくであろうことは肌で感じられました。
 
別所大学の勉強以外にも様々なことを学ばれた。その後、水戸に戻られて、家業でありアダストリアの前身である「福田屋洋服店」にご入社されたのですね。御社はこれまで4つの大きなチェンジを経験していると伺っておりますが、最初のチェンジは?
 
福田水戸に戻ってからは、研究のために、日本全国にある年商一億円以上の洋服店をほとんど全部回りました。それでわかったのは、ほとんどのお店は戦略も何もないまま、戦後の需要で偶然に育ってしまったということ。時代がどんどん変わろうとしていたなかで、従来通りの紳士服店を続けていっても難しいであろうことを改めて痛感しました。
ヒト・モノ・カネという商売に不可欠なリソースが少ない状況において打開策を模索するなかで、私は、カジュアルショップに活路を見出しました。1973年当時の水戸には、アメリカに強い興味を持っていた高校生が多くいたのですが、それに応えるお店がなかったんです。だから私は、まだ水戸に入っていなかったアメカジのブランドを仕入れて販売しました。それから、高校生やその少し上の世代に対して、水戸にいる面白い人や活動を紹介するコミュニティー紙を作って、情報発信も試みた。そうしたところ、水戸であっという間に6、7店舗展開でき、10億円ほど売上げ、1億円以上の利益の目処がつきました。
 
別所一つ目のチェンジは、紳士服店をカジュアルショップに転換すること。チェンジが功を奏して店舗数も利益も伸びた。
 

チェーン展開のスタート

 
福田それから、高崎、前橋、宇都宮と店舗を広げていったのですが、そのあたりで資金繰りがきつくなってきました。理由は簡単で、日本の当時の小売業は、江戸時代からの流れで支店を作る(多店舗展開をする)風習がなかった。多店舗展開をしたとしても、のれん分けのような形が一般的で、店舗間のつながりはなく各店舗が独立していた。店舗ごとに運営の仕組みが完結されているので、複数のお店を展開するとその分コストがかかる、云わば一店舗繁盛主義だったからです。その仕組みだと、複数店舗の運営は難しかった。それで、本を読んだり、ペガサスクラブというチェーンストア経営研究団体に加入して、アメリカのチェーンストアの仕組みを勉強しました。アメリカの小売業は、一気に数百店舗作ったりしますから。そのノウハウ、チェーンストアの仕組みを取り入れようと。現在、日本で大きくなっている小売業で、ペガサスクラブから影響を受けていない企業はないのではないかと思います。
 
別所なるほど。
 
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福田また、70年代の後半には、社員とともに、アメリカに研修旅行に行きました。社員たちには、「日本から極力ものを持って行くな」と伝えて、下着もデニムも靴も現地で購入できるように、出張手当にプラスアルファをしたわけです。それで、到着した日に、Kマート(*アメリカ有数のディスカウント・ストア)に行くと、みんな安くて驚くわけですよ。自分がアメリカで日本と同じ給料をもらっていたら、今の倍豊かな生活ができる、と。みんなでショッピングセンターを見て歩いて、「商業とはなんだろうか」と考えると同時に、「組織とはなんだろう」ということにも思いを巡らせました。
 
別所座学に加えてアメリカでの実地研修も行って、チェーン展開を学ばれた。
 
福田その後、1985年のプラザ合意によって円高が進んだことで、商社を通さなくてもアメリカの商品を安く仕入れることができるようになりました。当社は、アメリカの様々なブランドを輸入し、ディスカウントして販売するという業態をチェーンストアで伸ばしていきました。最初に仕入れたのは、リーバイスの501でした。その当時、すごく売りましたからね。日本国内ではトップクラスの売上だったんじゃないでしょうか。これが2つ目のチェンジです。
別所チェーン展開によって、さらなる成長を。
 

21世紀への生き残りをかけたストアブランドの育成

 
福田ところが、その方法で儲かるとわかると、そっくり真似する会社がたくさん出てくるわけです。結果、差別化できない価格競争に陥り、業績が悪化するのは当然のことでした。90年代に入り、我々は上場を目論んでいましたが、どう考えてもそのままでは上場しても成長できない。それで再びアメリカに行くわけです。そこで見たのが、GAPでした。GAPブランドの様々な商品を、非常にたくさんのお客さんが楽しそうに買い物をしている姿を目の当たりにして、日本でもきっと近い将来同じことが起こるだろうなと感じました。
しかも、1998年に、アメリカからの働きかけもあって、日本で大規模小売店舗立地法が制定されました。小売業が大型店舗を作る際の制限が緩和されたわけです。そうした外部環境の変化も当社のチェンジを促しました。バブル崩壊後に倒産した企業の多くは、ものの作り方を変えることができなかった。そこで変われた企業だけが、21世紀に生き残っていけたんです。我々は、商社と手を結んで程よいトレンドを取り入れたカジュアルウェアを、百貨店と量販店の中間価格帯であるファッションカジュアル市場で展開しました。ストアブランド(小売業者の独自ブランド)を本格的に育成し、ブランドコンセプトを商品だけでなく、店舗内装や接客にも徹底して表現することで差別化のコアにしようと。また、そうしたストアブランドを複数育てることが、リスク対策になると考え、現在のマルチブランド展開の基礎ができたのです。その切り替えが3つ目のチェンジです。
 
別所21世紀に生き残るための3つ目のチェンジ。
 

チェンジがなければ生き残れない

 
福田しかしその後、商社に頼ったモノづくりに限界が訪れます。市場が同質化し気がついたらどこも似たような服を売っているという時代になってきてしまった。追い打ちをかけて、海外のファストファッションが日本に進出してきて、再び価格競争に突入してしまったんです。そうした状況に危機感を持った我々は、自社で商品の企画、製造、物流、販売までを一貫して行うビジネスモデルへのチェンジに挑みました。2010年のことです。大きな投資をしてでも変えようと。でも、どうやっていいのかわからないから、社員は困ったと思いますよ。だから形になるまで5年もかかってしまいましたが、どうにか形になってきました。
 
別所それが4つ目のチェンジ。変化を積み重ねるのにも勇気が必要ですよね。
 
福田Spirit of SHINISE協会という原則70年以上続いた老舗企業の集まりがあります。我々も加盟しているのですが、そこで他社さんのお話を聞くと、やはり皆さん改善や変化を積み重ねて伝統を築いてきているわけです。我々だけが変わらなくていい理由はありません。チェンジしなければ生き残れないんです。
 
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別所そうしたなかで、ブランディングについてのお話もお伺いできればと思います。御社は企業理念として「なくてはならぬ人となれ なくてはならぬ企業であれ」というメッセージを掲げておられますよね。ブランドについて福田会長のお考えを教えてください。
 
福田私がブランドと聞いてすぐに思い浮かぶ企業は、ネスレさんです。どんどん変化していく世の中において、世界各国で受け入れられている。多くの人々の生活に密着して、その一部となっている。私は、ブランドとはそういうものだと考えています。ですから、アダストリアも消費者のみなさまが当社に対してウェルカムになってくれることを目指していますし、それが小売業である我々にとっての幸せだと考えています。その思いが結果的に、創業者である父が大事にしてきた言葉である企業理念「なくてはならぬ人となれ なくてはならぬ企業であれ」につながっているわけです。
 

ブランディングのキーワードはコミュニケーション

 
別所さらに、昨年からはコーポレートブランディングを本格的に始められたと伺っております。
 
福田昔はコーポレートブランドというより各ストアブランドが強くなればいいという考え方でした。しかし今や、グローバル企業と競合し、様々なレベルでの戦いが始まっている時代です。そうしたなかでやはり「アダストリア」という社名がお客様に伝わって、安心や信頼を持っていただけるようにしていきたいという思いがあります。
 
別所「アダストリア」という名前からポジティブなイメージが浮かぶように。私たちショートショート フィルムフェスティバルのお話も少しさせていただければと思います。米国アカデミー賞公認の映画祭で、ジョージ・ルーカス監督にも応援いただきながら、世界中のショートフィルムを紹介しているのですが、近年では、ショートフィルムを動画マーケティングに活用する企業も増えています。15秒や30秒のテレビCMで伝えきれない物語を紹介し、お客さんとつながっていく。昨年から設立したブランデッドショートという部門には、先ほどお話に出たネスレさんにもご参加いただいています。映画というと20世紀は映画館での興行がメインでしたが、僕は、21世紀はインターネットが主戦場になると確信しているんです。
 
福田私が子供の頃は、映画館で映画を観ていたけど、テレビが普及してお茶の間に映像が流れてきて、そのあと、インターネットが登場してそろそろ次のステップなのかなという感じになってきた。そのインターネットを早く一定の方向に持っていこうと考えているのが、アマゾンやグーグルといったグローバル企業でしょう。そことどう折り合いをつけていくのかは当社にとっても大きな課題ですね。アマゾンやグーグル一辺倒では駄目で、我々は、彼らができないことは一体なんなのかを考えて、挑戦し続けなくてはならない。
 
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別所アマゾンやグーグルがどんどん大きくなって、あらゆる業種業態がそこに収斂されつつある時代において、何をやるべきかを。
 
福田おそらくキーワードはコミュニケーションでしょう。そのなかで自分たちに何ができるのかを考えていく。だから、アパレルに限定する必要もなくて、各ストアブランドが様々な業種と色々な組み方ができると思います。そのためのマルチブランド展開だと私は考えています。
 
別所まさに僕も、21世紀はコミュニケーションアートの時代だと思っているんです。コミュニケーションによってブランディングしていくことが、企業価値の向上につながっていくと。それでは最後に、福田会長がこの先、どんな時代がやってくるとお考えかを教えてください。
 
福田いわゆるテクノロジーの観点からいうと、恐ろしい時代が到来すると思います。SFみたいな話になりますが、これまで不可能だったことがどんどんできるようになって、もしかしたら洋服も、今私たちが着ているようなものではなくなるかもしれません。みんな同じデザインで、寒かったら暖房が入る、暑かったら冷房が入る、体温や血圧を測ったり、体調管理までできる服が開発される可能性だってある。そういうなかで我々ができることはどういうことなのか? よく考えていかなければなければ。便利さだけではなく、ライフスタイルを提案してお客様に喜んでいただきたいという思いを忘れてはいけない。そのために、これから競って知恵を出し合う時代になるだろうなと考えています。
 
別所ありがとうございました。

(2017.8.14)

 


写真_福田三千男_ソロ(タテ3対4)
株式会社アダストリア 代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)福田三千男
1946年茨城県水戸市生まれ。69年同志社大学商学部を卒業後、衣料メーカーを経て、71年に家業の株式会社福田屋洋服店入社。93年にアダストリアの前身である株式会社ポイントの社長に就任。2000年に店頭登録。04年に東証1部上場。15年6月から現職。