【Management Talk】「常に変化し続けていかなければならない」日本有数の製薬会社 社長が語るイノベーションの鍵

アステラス製薬株式会社 畑中好彦

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年に迎える創立20周年に向けて、新企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺う対談です。

6回のゲストは、アステラス製薬株式会社 代表取締役社長CEO 畑中好彦氏。革新的な新薬を創出し続ける日本有数の製薬会社 アステラス製薬の社長が考えるイノベーションを生む仕組みとは。ブランディングや動画を活用したコミュニケーションについてもお話しいただきました。
 
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アステラス製薬株式会社

アステラス製薬株式会社(http://www.astellas.com/jp/)は、東京に本社を置き、「先端・信頼の医薬で、世界の人々の健康に貢献する」ことを経営理念に掲げる製薬企業です。既存の重点疾患領域である泌尿器、がん、免疫科学、腎疾患、神経科学に加えて、新たな疾患領域への参入や新技術・新治療手段を活用した創薬研究にも取り組んでいます。更には各種医療・ヘルスケア事業との融合による新たな価値創出にも挑戦しています。アステラス製薬は、変化する医療の最先端に立ち、科学の進歩を患者さんの価値に変えていきます。
 
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世界に出て行くチャンスのある仕事を

 
別所畑中社長は静岡県のご出身だと伺っております。僕も同郷で、島田市の生まれなんです。畑中社長は静岡県のどちらでしょうか?
 
畑中私は静岡市の出身です。朝比奈川の上流、焼津市に近い地域で生まれました。実家はお茶農家で、現在でも両親と兄が営んでいます。そういう意味では、純静岡の家庭で育ったと言えるのかもしれません。
 
別所実は、僕の母もお茶農家の出身で、父の実家はお茶問屋だったんです。畑中社長と僕は静岡だけでなく、お茶でも繋がっているわけですね(笑)。静岡での子供時代はどんな生活だったのでしょうか?
 
畑中小学校は、朝比奈川の上流にある分校に通いました。そこは当時文部省のへき地学校に指定されていたと記憶していますが、二学年が同じクラスという複式教育が行われていました。しかも、生徒の多くはお茶農家の子供でしたから、中学校に上がったときには環境の違いに驚きましたね。そこから、高校に進学し、上京して大学に入学したわけですが、思い返せば、毎回、全く未知の世界に飛び込んでいくという感覚でした。
 
別所環境も変わりますし、コミュニティが大きくなって人間関係も広がっていきますからね。
 
畑中おっしゃる通りです。そして、私は三人兄弟の次男でしたので、家庭では子供の頃から、次男以下は早く家を出るものだという教育を受けてきました。ですから、私は早く東京に出たいと思っていたのです。上京するための最短ルートは何かというと、大学に進学すればいい。そう考えたわけです。
 
別所それで勉強に励まれて一橋大学経済学部に入学。当時、将来の夢みたいなものは持っていたのでしょうか?
 
畑中漠然とは持っていました。実家に住んでいた頃、長男で農家を継いだ父の兄弟たちから仕事の話を聞く機会があったのです。私と同じ次男以下の叔父たちは、商社に勤務していたり、船乗りになっていたり、外に向かっていく職業に就いていました。その影響か、私もうっすらと、東京の次は世界に出ていくチャンスがある仕事をしたいなとイメージしていました。
 
別所同じ次男以下の叔父さんたちからの影響で。私が大学生の頃は、バブル全盛期で、就職は学生が超売り手市場でしたが、畑中社長の頃はいかがでしたか?
 
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初めて自分がマイノリティになった

 
畑中私は76年〜80年に大学生でした。オイルショックを経て日本が安定成長期に向かっていましたから、同じく学生側が売り手の世代です。大学の特色としては、金融や損保、商社といった業界に就職する学生が多かった。ある商社には、同級生が50人規模で入社するような時代でした。そんな状況のなかで、私が師事していたゼミの教授が、「君たちは、自分たちが将来色々な場面で競争に直面することを考えたことがあるか」とおっしゃっていたのを覚えています。「同期で50人もいたら、上下数年合わせて数百人の同じ大学出身者で競争することになる。そういうことも考えて就職活動をしたほうがいい」と。そして、私自身もどちらかというと製造業、それも今後日本で発展していくことが期待されていた化学系の産業に魅力を感じていたのです。
 
別所それで製薬会社を。畑中社長は合併前の藤沢薬品に入社されたんですよね。
 
畑中私は幼い頃から藤沢薬品に縁があったようです。実は小学生の頃、富士市にある藤沢薬品の工場に社会科見学に行っていたのです。就職活動のときは全く意識していなかったのですが、もしかしたら深層心理にそのときの記憶が刻まれていたのかもしれません。しかも、合併した山之内製薬の焼津工場も実家の近くにあって、色々な機会で遠目に見ていた。そう考えると、本当に不思議な縁だと感じます。
 
別所運命的な要素もあったのかもしれませんね。1980年に入社されたわけですけど、今改めて振り返ってみて、ターニングポイントとなったようなお仕事はありますか?
 
畑中まずは、様々な職種を経験するなかで、苦しい状況に直面しながらも、その都度逃げることなくある一定の結果を残してきたことがベースとしてあるのかなと思います。その際、私はずっと、「使いやすい部下になろう」と心がけてきました。何かの依頼があったら、ぐずぐず言わず、逃げずに引き受けようと。

それに加えて、1992年からの3年間、初めて海外赴任した経験が挙げられます。赴任先は米国のシカゴでした。職位でいうと課長の頃だったと記憶しています。

田舎の小学校から大学で東京に出て、就職して、今度は米国に行ってさらに世界が広がったわけですけど、私はそこで初めて「自分は日本人なんだ」ということを実感しました。周りはほぼ全員、米国人を中心としたノンジャパニーズ。そのときは家族も一緒に行きましたが、生活においても仕事においても、初めて自分がマイノリティになったという大きな体験でした。
 
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別所23歳の頃にハリウッドの映画に出演するために単身渡米して一人暮らしをしていました。運転免許を取得するところから生活を始め、俳優として監督から指示を受けたり、演劇の学校に行ったり……。カルチャーショックもありましたし、畑中社長がおっしゃる通り、改めて自分がマイノリティだと感じる部分がありました。
 
畑中仕事においては、本社からの出向でしたから表面上は受け入れてくれます。ただ、アメリカでは、自分は何者で、何ができて、どういう貢献ができるのかをアピールする必要がある。日本のような目を見ればわかる、気持ちが伝わるという社会から一変したわけです。
 
別所アメリカでは多少ファイティングポーズをとる必要がありますよね。にこやかにイエスもノーも言えないとなかなか前進しない社会です。
 
畑中しかも、当時のアメリカは経済が低迷していましたので、シカゴのような大都市でも必ず「ここから向こうは入ってはいけない」という非常に危険なエリアがある時代でもありました。ですから、そういう意味で家族を守るという感覚も初めて味わいました。
 
別所僕は1988年〜1990年にロサンゼルスで暮らしていましたが、やっぱり「あのエリアには入ってはいけない」とか、途中でガス欠になったら大変だから車のガソリンはしっかりチェックしてから出発してくれとか、色々ありましたね。では続いて、帰国後のターニングポイントを教えてください。
 
 

変化を受け入れない限り人間は成長しない

 
畑中帰国後は、様々なプロジェクトでリーダーを務めた後、アステラス製薬として合併する際の藤沢薬品側の実務取りまとめ役を担当しました。これは、全く別の会社とどのように融合して新しい会社を作っていくのかというチャレンジでした。20034年頃のことです。
 
別所会社としては根源的なことですよね。
 
畑中合併するとなると、「企業文化が違う」「社内用語が違う」といった小さな話が色々と出てくるのですけれど、結局、山之内製薬も藤沢薬品も、新薬を開発して世界に届けていこうという同じ志を持つ会社でしたから、そこは大きな障害にはなりませんでした。ただ、人間おかしなもので、それまでは連日のように酒場に行って、「このままではこの会社はダメだ」と気炎を揚げていた社員が、合併を発表した途端、突如愛社精神に目覚めて、「こちらはこんなにすごいのに相手の会社はどうだ」と豹変してしまうことがありました(笑)。それを目の当たりにした時、新たなことにチャレンジしていくこと、変化していくことを受け入れない限り、人間は成長しないのだろうと思いました。
 
別所やっぱり人間、細かいところにこだわってしまって、いざ大きな未来を築こうとなると難しいところが出てくるんでしょうね。
 
畑中それまでも、他の業界では国内でも大規模な合併がありましたし、医薬品業界では欧米企業が合併を繰り返していましたから、色々な評論が出ていたわけです。どちらの出身がポジションをとったとか、どちらの体制になったとか。そうした瑣末なことにこだわって本質を見失わないよう心掛けました。
 
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別所その後、米国法人の社長に就任されたと伺っております。さらに責任重大な立場ですよね。
 
畑中アステラス製薬を代表して、数千人規模の米国事業を経営していかなければならないとなったとき、リーダーが発する言葉の大切さ、一つのメッセージの持つ意味の大きさを学びました。

私は、英語がネイティブではありませんから、単語選び一つをとってもそうですし、あるいは、あるメッセージが、開発職には非常にわかりやすいけど、営業職には理解できないということが起こります。また、医薬品の研究開発には十年以上かかりますので、各部門、各担当によって現状認識のタイムラグが発生するわけです。そうすると、誰に向けた言葉でどの時点の説明をするか明確にしなければメッセージは伝わりません。自分でそういう経験をして初めて、今までのリーダーたちは、言葉を相当吟味して発言していたのだとわかりました。
 
別所エンターテイメントの世界で、クリエイター側の言葉とプロデュース側の言葉が違うことに近いのかもしれません。しかも、コミュニケーションの時間も限られていますしね。
 
畑中別所さんが手がけられているショートフィルムと似た部分はあるのかもしれません。結局、言いたいことは山ほどあるものの、従業員に二時間話はできないですから、10行くらいのセンテンスにまとめたり、数分の挨拶のなかに凝縮することが必要です。ましてや、英語でしたから、非常に苦労しました。
 
 

患者さんにとっての価値が社会的な価値になる

 
別所そして、2011年に本社の社長に就任。どのような変化がありましたか?
 
畑中ある程度は事前にイメージしていましたが、想像以上に公人になったと感じています。米国法人の社長時代よりいっそう言葉選びや態度に神経を使うようになりました。まさに、一挙手一投足が従業員を含め、周囲から見られているという感覚です。
 
別所リーダーの言葉や態度には大きな影響力がありますからね。社内だけでなく、業界全体、株主、メディアも含め、大きな注目が集まる大変な仕事だと思います。それでは、逆に変わらなかったことは?
 
畑中当社は、研究開発によって革新的な新薬を世の中に出し続けていくことにこだわり続けようと、「先端・信頼の医薬で、世界の人々の健康に貢献する」という経営理念を掲げています。サイエンスの進歩を柔軟に取り入れながら、それを最終的に患者さんの価値に変えて届けていきたい。ここは変わりません。そして、大切にしていることは、創造性や多様性を受け入れることです。変わることでしかアステラスの成長はないという考え方は変わらず、一貫して全世界のグループの従業員が共有しております。
 
別所多様性ということでいうと、御社の社員の約半数は外国人だと伺っています。
 
畑中私も80年代の入社ですから、一面では同質性の持つ強さを否定するわけではありません。道順が決まっていて目的地も定まっていれば、日本人の中年男性が集まって突き進むという強さはあるでしょう。ところが、これだけ世の中が複雑になり加速度的に変化が起きているなかで、同質の人間が集まってもイノベーションは起こらない。特に私たちの産業では、異質な意見も異なる考え方も全部受け入れ、議論しながら新しいものを作っていくことが極めて重要だと考えています。
 
別所研究開発や新薬への考え方にも多様性は生きてくるんでしょうね。僕は素人だからわかりませんけど、日本と海外では錠剤の大きさ一つをとっても違ったりしますよね。
 
畑中まさにおっしゃる通りです。ある新薬を開発する時に、日本人はとにかく錠剤を小さくすることにこだわるのです。けれども、それを米国でマーケティングテストすると、こんなに小さなものは掴めないから飲めないという結果になってしまう。これほど端的に違うわけです。
 
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別所では、続いては、コミュニケーションスローガン「明日は変えられる。」に込めた思いをお伺いしたいと思います。
 
畑中やはり私たちは、最後には患者さんにとっての価値を提供し、ひいてはそれが社会的な価値になることで存在を許される会社だと自覚しています。ですから、一つには、革新的な新薬の創出を通じて患者さんに明るい未来を届けたい。患者さんとそのご家族、ご友人が明日を変えるようなお手伝いをしたいという願いがその根底にあります。そして、もう一つ。その目標のためには、私たちアステラス製薬自身も未来を信じて変わっていかなければならない。そういう思いと決意を込めています。
 
別所コミュニケーションスローガンに込めた思いを世の中に発信していくことが会社のブランディングにもつながっていくのだと思います。畑中社長はブランディングについてはどのようにお考えでしょうか?
 
 

言行一致が会社としての信頼感につながる

 
畑中一元的には、アステラス製薬が目指していることや大切にしていることを、患者さんやそのご家族をはじめ、医療関係者、株主、社員、地域社会、当社を支えてくださる様々なパートナー企業さんなど、当社のステークホルダーの皆様にご理解いただきたいと考えています。

一つ特徴的なこととしましては、当社は医療用の医薬品しか扱っておりませんので、基本的に製品のコマーシャルはできません。ですから、アステラス製薬という企業がどういう会社で何を手がけているのかということを丁寧にコミュニケーションする必要があります。それを凝縮した「明日は変えられる。」というコミュニケーションスローガンやブランドストーリーを作っていくという試行錯誤を、合併し新社名になって以降12年続けてきました。
 
別所非常に興味深いです。旧名を捨て、新たな社名で船出して以降どんな道を辿ってきたのでしょうか?
 
畑中当然、企業ブランドコマーシャルは作ってきましたし、それ以外にも、当社が保有するリソースを社会に還元できるような施策にも取り組んできました。一例を挙げれば、別所さんにもテレビ番組へのご出演でお力添えいただいた「グリーンリボンキャンペーン」という臓器移植のドナーを増やすキャンペーンに協賛しています。また、前立腺がんとむきあう中で、患者さんやそのご家族が悩んだとき、迷ったときに日々の生活や気持ちをサポートできる情報を提供する「がんの学校」という情報Webサイトを開設しました。こうした活動は、華々しいテレビコマーシャルと比べれば地道ではありますけれども、当社が大事にしていることを伝える大切な役割を果たしていると考えています。
 
別所そうした活動が信頼や安心につながるのだと思います。そして、CNNではグローバルブランドキャンペーンを展開していると伺っています。
 
畑中一つには、当社は世界中でビジネスを展開しておりますので、認知度を上げたいという対外的な目的があります。それと同時に、当社で働くことを選んでくれた世界各地の従業員への応援の意味合いも込めています。コマーシャルを放送することで、「私が働いているアステラス製薬というのはこういう会社なんだよ」と、社員が家族や友人に語ることができる。そうやって従業員がアイデンティティを感じることも非常に大切なことだと考えています。
 
別所インナーコミュニケーションもブランディングにつながりますからね。社内の従業員そして社外のステークホルダー、そして生活者、それぞれが共有できる物語があることは大切だと思います。
 
畑中従業員からすると、社長や会社からのメッセージと外部メディアからの評価が一致していることが強く響くわけです。言行一致が会社としての信頼感につながっていく。そして、それは、外部のステークホルダーの皆様にとっても同様だと思います。

私たちは、十年以上もの歳月をかけて新薬を開発するという非常にハイリスクな投資をしていますので、ステークホルダーの皆様に対して、当社が取り組んでいること、その目的、目論見を常に説明する責任があります。ですから、当社のメッセージを込めたブランドを作り上げていくことは非常に重要です。ただ、私たちのような医療機関を通じて医療用医薬品を患者さんにお届けするビジネスを行っている企業体ですとどうしても、どういう対象に何を発信するのかというところで一般の企業とは違う意味を持ってきます。また、製薬業界のマーケティング活動には様々な法的規制も存在します。そのような状況のなか、今別所さんにおっしゃっていただいたようなそれぞれの生活者のストーリーをベースにしながらアステラス製薬のメッセージを伝えるということが必要で、そこに苦労を重ねているわけであります(笑)。
 
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ストーリー性と企業のメッセージが重なるような動画コンテンツを

 
別所僕たちの映画祭では昨年から、企業のメッセージを伝えるブランディング動画をフィーチャーする「Branded Shorts」という部門を設立しました。物語性によって短時間で企業への共感を生み出す映像コンテンツはここ数年で一気に広がっています。畑中社長は、動画マーケティングについてはどのようにお考えでしょうか?
 
畑中当社としましても、今後、その重要性は高まると考えています。取り組みの一つとして、ANAさんの30分程度の機内放送番組「Innovative Minds」で当社の社員の奮闘を通じて、グローバル戦略や全体共通の使命への挑戦を紹介しています。ストーリー性と当社のメッセージがうまく重なるような動画コンテンツは、これからさらに増やしていくつもりです。
 
別所御社の物語と僕たちの映像文化の融合で何か新しいものを生み出せたらいいですね。
 
畑中私たちとしましても、社外の方々と新たなネットワークを構築することで変化を起こし続けていきたいと考えております。このようにいただいたご縁のなかで新たな試みに挑戦できればと思います。
 
別所ぜひよろしくお願いいたします。それでは、最後にアステラス製薬さんが見つめる明日、会社としての今後についてお伺いできますでしょうか。
 
畑中私たちの目指すところはこれからも変わりません。科学の進歩を柔軟に取り入れながら、最終的にそれを医薬品、あるいは医薬品関連の製品に変えて、患者さんに価値をお届けする。そして、そのゴールのために私たちは常に変化し続けていかなければならない。私は、アステラス製薬の新しいものを生み出す力とこの業界の持つ価値を信じています。
 
別所ありがとうございました。
 
(2017.5.11)
 
 
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畑中好彦(はたなか よしひこ)アステラス製薬株式会社 代表取締役社長CEO

1980年一橋大学経済学部卒業後、藤沢薬品工業㈱入社。マーケティング、医薬情報担当者等を経験後、Fujisawa USA, Inc.にて免疫抑制剤「プログラフ」の米国販売網構築を担う。2003年経営企画部長に就任、2005年山之内製薬㈱と合併時には藤沢薬品工業の実務担当責任者として交渉に携わる。2005年アステラス製薬㈱執行役員経営企画部長、2006年Astellas US LLC President & CEO兼Astellas Pharma US, Inc. President & CEO、2009年上席執行役員経営戦略・財務担当を経て、2011年6月代表取締役社長CEOに就任。